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2015年3月23日 (月)

茨木のりこ 「清冽」

Imagescapsnd7m「清冽」、詩人茨木のりこの肖像  を読んだ。彼女は中学の教科書で 「私がいちばんきれいだったとき」 の詩で知った。

なんと、凛として 直截的 それでいて しなやかな詩を書く人だろうと思った。 どの党派や組織にも属さず、自己の信念をつらぬき、しかし、 「安保時代」の大きなうねりの時には、「声なき声」 の一員としても行動。

「わたしが いちばんきれいだったとき」 も好きだが、この 詩も 命のあわれをいつくしみ、営みの永遠を歌いあげる。

<ことしも生きて  さくらを見ています
 ひとは生涯に  何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら  どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら  なんという少なさだろうImage2
もっともっと多くみるような気がするのは  祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう  あでやかとも妖しとも不気味とも  捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば  一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態  生はいとしき蜃気楼と>

Imagesca7v9rlk_3「死こそ常態 生はいとしき蜃気楼」、 こんないい言葉があったんだ!

つぎに読んでほしい詩

      [  四海波静
                    茨木のり子

戦争責任を問われて
  その人は言った
  そういう言葉のアヤについて
  文学方面はあまり研究していないので
  お答えできかねます             思わず笑いが込みあげて
  どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる

三歳の童子だって笑い出すだろうImage3
文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
  笑(えら)ぎに笑(えら)ぎて どよもすか
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア

野ざらしのどくろさえ
  カタカタカタと笑ったのに
笑殺どころか
頼朝級の野次ひとつ飛ばず
  どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット
四海波静かにて
黙々の薄気味わるい群衆と
後白河以来の帝王学
  無音のままに貼りついて
  ことしも耳すます除夜の鐘 ]

1975年、天皇は初めて公式の記者会見を行った。 4月の訪米に際して 「私が深く 悲しみとするあの不幸な戦争」 という発言にたいして、戦争責任を感じておられるのか、という記者の質問にたいしての答えた件で。

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コメント

茨木のり子山河亡くなって何年になるのでしょう?
何処までも好きな作家です~♪

空さん
この 「四海波静」 という詩にはびっくりしました。
こんなにも直截的に天皇について語った詩が
あったかしら?
まったくの無党派の人が 「平和に生きる」 ことへの
否定性を端的にするどく、わかりやすく ついていますねぇ。

こんな詩を書きたいものです。

↑桜の写真、郡山市の不動サクラに似ていますね。
あねさんが撮られたのですか?

夢子さん
久しぶりのご訪問、ありがとうございます。

恥ずかしいけど、これはネットから拝借したもの。
桜を見に行きたいけど、最近はイベントが多く
なかなか外にでれなくて、残念な思いをしておりまする。

今年は「三春の桜」 とも思ったのですが、沖縄の方に
気をとられて、三春はおあずけ。
夏に郡山のプラネタリウムでお会いできると
うれしいですが・・・。

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