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2018年7月 6日 (金)

本 「奇跡の歌」

Yjimage1本 「奇跡の歌」を読んだ。 あの大ヒット曲 「南国土佐はどのようにしてうまれたかがメインテーマ。

奇跡と偶然とが絡み合って、歌謡史に残るヒット曲が生まれた。 戦時中、日本軍歩兵第236連隊通称 鯨部隊で 誰かが歌って隊全体が歌い継いでいた「南国節」。 その部隊が玉砕することなく多くの復員兵がいた事。 復員兵の歌う歌を採譜して曲に仕上げた人 武政栄策。そして「南国土佐を後にして」は生まれた。Hqdefault1

東京から福島に疎開していた少女が戦後米軍キャンプで歌い始めたこと。NHKのプロデューサーがそれらを結びつけたこと。  こうしてペギー葉山の奇跡の歌は生まれた、 あの日中戦争を高知出身の兵隊たちは勇猛果敢に戦っていたが過酷な戦時日常をどう生き抜いたか、そしてそこに生まれたささやかなドラマなどを丁寧に記されている。4a9fafbd4cd5f0b7a5630eef287eb498450


Maxresdefault1昭和17年、戦局がますます不利になる中、志願兵だけでなく国民皆兵制によって、補充兵として中国最前線に行かされた高知出身者たち。 中国をわが手に収めんと内陸へ内陸へと進軍する毎日。

「広西省の土民は苗(びょう)族といい、獰猛にして敵意強く、単独または少数で行動する我が兵をみると、襲いかかって 殺害するありさまで、その犠牲となったものの少なくなかった」  このような緊張と戦闘のなかで、土佐出身の部隊の中からだれからともなく歌われた 「南国節」。40dd2318fd8e07371612dfe97e666f0dbfb
兵たちにとっては昼間の戦闘と行軍の疲れをしばし癒せる夜に集った時に この歌がどんなにか心のなぐさめになったか、復員してきたひとたちによって語り継がれた。

また、この部隊はある日 ひょんなことから 生後間もない「ヒョウの赤ちゃん」を手に入れる。 「赤ちゃん」は隊員たちにすぐになつき、隊員たちも愛情いっぱいこめて育て、隊のマスコットになった。  しかし、進軍の命からヒョウを連れて行けず、戦中のさなかではあったが、八方手をつくして、「上野動物園」に引き取ってもらうことになる。 ところが、昭和18年、猛獣毒殺命令がくだされ、かのヒョウも殺された。 今は 高知市の子ども自然博物館にその剥製が展示されている。 人間だけでなく、動物も多くあの戦争で犠牲になった。O09600540140060236781
「南国土佐・・」の歌は兵たちの望郷の想いから発祥し、戦争の悲惨さを語り継ぐ象徴でもあった。また、「ハチ」と名付けられた ヒョウの運命もまた戦争がいかに愚かで空しいものであったかを物語る。

と、このような本だが、日本が他人の土地に土足で入りこんでいくのに、「敵」は暴力的、残虐などとの表現には違和感を覚えた。しかし、全体としては、「南国土佐・・」や「ドレミの歌」など、戦争の悲劇の中で生まれたものが、その後多くの人々の「希望」と「勇気」につながって行ったドキュメンタリーとして一読に値する。

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