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2019年1月19日 (土)

ひびけ チェロの歌

Kaffirlily_011まず、今日の誕生花は クンシラン。 我が家にもあるが、花はまだまだ咲かない。しかしその花言葉がいい。「貴い 望みを得る」 。他で調べると 「高貴」、「誠実」などがあるが、NHKラジオでは この花言葉。 貴い望みを得たいものです。Dsc_5208

そして、我が家ではここ4日にもわたってハイビスカスが咲いている。夏の花が・・・。  話変わって 音楽にうとい私、少しでも近づこうと 少年少女向けのノンフィクションを読む。 タイトルは 「ひびけチェロの歌」 偕成社発行。

1910年前後のロシア、主人公がその少女時代を父とともに過ごした音楽にあふれた成長期をふりかえるノンフィクション。  父が尊敬する バガニーニ、バッハ、ショパン、モーツァルト、ベートーベン、などが父の語る逸話と共に生き生きとその音楽生活を垣間見ることが出来る。Yjimage9h6gljhc


45020180702124842748011_2音楽のもつ厳しさ、豊かさ、深さも主人公の彼女は父から受けついていく。 1900年前後のロシアの人々の生活も興味深い。

2019年1月11日 (金)

おらおらひとりでいぐも

Yjimage1ひところ評判になった「おらおらひとりでいぐも」を読んだ。

荒筋・・・・74歳、ひとり暮らしの桃子さんはつぶやく。
結婚を3日後に控えた24歳の秋、東京オリンピックのファンファーレに押し出されるように、故郷を飛び出した。
身ひとつで上野駅に降り立ってから50年――住み込みのアルバイト、結婚、二児の誕生と成長、そして夫の死。
「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」
40年来住み慣れた都市近郊の新興住宅で、ひとり茶をすすり、ねずみの音に耳をすませるうちに、桃子さんの内から外から、過去の思い出と共に、家族、友人たちの声がさまざまな内なる声になって話しかけてくる。
捨てた故郷、疎遠になった息子と娘、そして亡き夫への愛。悲しみの果てに、桃子さんが辿り着いたは 「おら、おら ひとりでいぐも(私は一人で生きていく)」だった。

これは青春小説の対極として 玄冬小説の誕生 と言われる。 玄冬小説とは……歳をとるのも悪くない、と思えるような小説のこと。
新たな老いの境地を描いた。Pop011

参考までに 論語 にはこんな言葉がある。
  ① 青春    :16歳~30代前半      学を志す
  ② 朱夏前半:30代前半~40代後半  身を立てる / 惑わず
       後半:40代後半~50代後半  天命を知る
  ③ 白秋    :50代後半~60代後半  耳に従う
  ④ 玄冬    :60代後半~          矩を超えず

この本の95%はひとりつぶやき。 いい加減にしてよ、と思う頃「ああ、私も独りになったらこうなるのかな」 てな恐れと現実をみつめなさいよ、という声に呼ばれる。 私の場合、「玄冬」だけど、あらがう人生の真っただ中だから、反面うなづきながらもこんな風には生きない余生をつかむ、という気持ちだ。

2018年12月20日 (木)

絵本 「クリスマスプレゼント」など

Yjimage1孫が4人になる前はもっと頻繁に絵本をおくっていたように思うが、最近はあまり本を送っていない。反省を込めて、せめてクリスマス時位は絵本と向き合いたい。

昨日、孫たちのために注文した本、 1、スズキコージの「クリスマスプレゼント」。これは、小学校3年生の子へ。 青い馬に乗って不思議の国に旅する男の子。次々と出会うのはな~~に。Yjimage6

2、5歳の活発な子へは、「もしもねずみをえいがにつれていくと」、岩崎書店。 ねずみに出会った子供が一緒にえいがに行こうとすると、ねずみはポップコーンをほしいというだろう、買うとそれをつなげてほしいというだろう、次々にうかぶ発想。 そしてクリスマスには?Ggking_97844060507771

3、3歳の子へは、 「てんてんおやすみ」 、新日本出版社。梅田俊作。 絵本はなんといっても絵がくっきりして象徴的。文章は闊達なのがいい。  これらは私の好みにぴったりあったもの。

4、私へ 「花の好きな牛」 、スペインのある村に花の好きなおとなしい牛がいた。 それが、どうしたわけか、闘牛を探している人たちに見いだされ、闘牛場にいくはめになってしまった。Yjimage4

※ 子どもと関わっていて、絵本を小さい時から読んでいる子ほど、学校へあがってからも教科書にすんなり入って行ける。国語だけでなく、算数、理科にも創造力、想像力をふくらませることが出来やすい。 それが、近頃は親子ともども「ゲーム」時間が多くなる傾向。  脳が委縮するよ~~、と叫びたいババ。

2018年11月 9日 (金)

本 「戦火と死の島に生きる」

Yjimage1図書室でふと手に取った本、少年少女世界のノンフィクション 「戦火と死の島に生きる」を読んだ。 戦前、南洋諸島に派兵された兵士たちの悲惨な最期はたびたび耳にしてきたが、これは 戦中、南国のパラダイスを夢見て、(本当は騙されて農奴のような生活を当初は強いられたのだが・・) 家族そろって移民したうちの一人、まだ10代の少女の悲惨極まる戦争体験記。

筆者は1926年、山形県に生まれる。

開拓農民で機械力もなしで原生林を切り拓き生活の糧を確保していく凄まじい努力の年月、また小島テニアンには連絡船さえ月一度(開発会社南洋興産に騙された)、やっと届いた本国からのビスケット。それさえもアオカビがはえて食べられない。 やもりとやぶ蚊の襲撃に耐えながらの開墾。 それでもまた、戦争のないうちは平和だった。S4c1

筆者はテニアン島の高等小学校を卒業後、貿易会社に就職するが、戦争がはげしくなり 特志看護婦として陸軍野戦病院の看護婦になる。S2c1

圧倒的な兵力と武器弾薬で日本軍とは戦いにならないほどの米軍の進撃。 彼女が働く 野戦病院、といってもただのすり鉢状の窪地に 本部のテントがあり、軍医と衛生兵が何人かいるだけで、 数千人もの重傷者をみる。 患者は地べたのうえに寝かされ、マーキュロ、赤チン、包帯などがあるだけの状態が続く。 蛆虫はそこらをはい回るどころか、患者の傷口にどんどん入り込む。 S3a1

米軍の襲撃によって、兵士の歩けるものは玉砕部隊、歩けない者はおきざりにされ手りゅう弾などを渡され自決をうながされる。 民間人とて同じ。 避難していた人たちも 「生きて虜囚のはずかしめを受けず」、 「婦女子は辱めを受ける」 。こうして何万という人たちが死んで至った島々。

筆者、菅野さんは兵士にできるだけの看護を心をこめてしながらも、もう生きて帰れないと思う兵士たちのつぶやき、心の叫びに耳を傾け続けた。 S1a1

「たすけてください~~い」、「おかあさ~~ん」、と叫んだ日本人の声。 人間の最後の時のすさまじい光景が、耳に、目によみがえってくる という。 あの叫び声は一生私の耳からきえないだろう。

それなのに、やはり敵は日本人を殺した。 どちらかが勝たなければならない戦争だからなのだろうか。 

↑筆者の家族、後列左が筆者

菅野さんは日本兵と共に手りゅう弾で自決を図った。しかし、進軍してきたアメリカ兵に助けられ 捕虜収容所に送られ生きて日本に帰ることが出来た。

兵士だけでなく、民間人も同じように戦火を生きることになる戦争。 戦争準備に巻き込まれないよう目、耳を大きくしたい。

2018年10月11日 (木)

歴史を見る 音楽をする

Yjimage3音楽家 池辺晋一郎さんの上記の本を読む。

兵士として大陸や南方に動員され、還らなかった若き音楽家たちのこと。その作品を今の時代に聴き、演奏する意味を、音楽評論家、「無言館」館主の窪島誠一郎さんたちとのトーク。そして「戦後60年」の年に著者が書いていたこと。 10年前のことがありありと浮かぶけど、それはすべて 現代のつながっている。 日常の生活の中から「空」・・・大きな社会・・・が見えてくる。 そんな緩やかなエッセイ。

自衛隊のイラク派遣は違憲だ、として 関西の市民が国を訴えた。 この訴訟の原告側証人として、一人のイラク人が来日。ハッサン・アボッオ 38歳。彼は2000年、日本に留学。その留学中に祖国がアメリカの攻撃を受けた。2003年、帰国。彼の住む町で4人の若者が米軍に射殺された。 Yjimage4
テロも続いている。爆弾を仕掛けた車が爆発 125人が死亡。 祖国で罪のない市民が常に死に直面している。米軍の死者も1500人を超えた。  

彼はいう。「日本の自衛隊はアメリカの一翼を担っている。軍服ではなく、武器を持たない支援の方法をとれないか、と証言のなかでいう。

池辺さんが世界、日本各地で音楽仲間などと交流し、感じ、つぶやいたことが鮮明に記録されている。 楽しく 「そうだね、そうなんだよ」 とうなずきながら読める本。

2018年9月22日 (土)

ふかいことをおもしろく

Yjimagemjaib2p2井上ひさしの 「ふかいことをおもしろく」 という本を読んだ。 ① よく聞く言葉としては左記のとおり。外来語についても、よく政治家がけむに巻くような言葉を使っているが、私もちょっぴり反省。 私の場合はけむに巻くというより、オブラートに包んだいい方をしたいときに使うのだが \(;゚∇゚)/

② ≪ 笑いとは、人間がつくるしかないもの  それは、一人ではできない  人と関わって、お互いに共有しないと意味がないものである。 苦しみや悲しみ、不安というのは、人間がそもそも生まれ持っている。 人間は生まれてから死へ向かって進んでいく。 それが生きる ということ。 この「生きていく」 その者の中に、苦しみや悲しみが詰まっているが、「笑い」は入っていない。  なぜなら、笑いとは、人間が作るしかない者だから。 それは独りでは出来ない。人と関わってお互いに共有しないとだめ ≫ と彼はいう。  こりゃ、難しい w(゚o゚)w
人形劇にしろ、腹話術にしろ、笑い・ユーモアがなくては深まりがない。 Yjimageo7u0s70k_2
③ ≪これから作っていく新しいことの中でも、気になるのは日本国憲法。あの大戦後、戦争という形で、日本国民の中で誰も他の人を殺していないし、日本人の中で死んだ人もいない。憲法9条を変えたら、あのイラク戦争のように、誰もがすぐにああなる可能性を持っていることを考えてほしい。 ≫  この点で彼はずっと警鐘をならしていた。

2018年9月10日 (月)

音楽の力 9条の力

Yjimage1池辺晋一郎さんの上記のエッセイを読む。 池辺さんはご存じの方も多いが、

現在東京音楽大学客員教授、東京オペラシティ・ミュージックディレクター、石川県立音楽堂・洋楽監督、横浜みなとみらいホール館長、せたがや文化財団音楽事業部音楽監督。ほか多くの文化団体の企画運営委員、顧問、評議員、音楽コンクール選考委員などを務めている。

日々の軽いタッチのエッセイなので読みやすい。本からの引用

「集団的自衛権行使や改憲など・・・に日本が向かわないようにしたいと思っている。たとえば自民党に憲法を変えさせないようにするには、国民によるたたかいが必要だけど、そのたたかいに音楽がどれくらい役立つか、自分たち音楽家に何の力があるのだろう、と考える。Yjimage2

人間が力を合わせて、何か社会的な運動に取り組むときに、みんなで一緒に歌ったり、一緒に音楽をやることは力になる。 ⦅開け ごま! ⦆ と歌ってもドアが開くわけではない。 でもそのドアに重いかんぬきがかかっているとして、そのかんぬきをみんなで ≪ えいやっ !!≫ と持ち上げようとするとき、歌うことは絶対に力になる。

歌ったから客観的な状況が変わるわけではないけど、それを変えようという時に必要なこと・・・みんなの心を一つにすることのために音楽は絶対に役に立つと、長年この仕事をやってきて感じている。」T1515968075555609531791

有事法制3法。  武力攻撃が予想される場合にも、この法律は効力を持つ。予測とはどの程度をさすのか、いつ攻撃されるかとびくびくするあまり、実は何でもないのに、こちらから外国に攻撃をしかげてしまう、 そんなことがないともいいきれない。」

と、庶民的目線でわかりやすく 日々の音楽活動や社会を見る目をつぶやく。 音楽界第一線の音楽家の言葉だけにまた重い響きもある。

2018年9月 7日 (金)

ラバウル戦記

Yjimagejqf340di水木しげるの「ラバウル戦記」を読む。 あの妖怪ロードを歩いたおかげで、なぜ彼が鬼太郎アニメをうみだしたがが知りたくなったから。

勿論、最初から水木さんのラバウル体験と妖怪がつながっていたと思ったわけではない。しかし、この本を読み進むうちにその想いを深くしたのだ。61rnjqa3qbl_ac_ul320_sr232320_1

彼は徴兵されてからラッパ吹きになったが鳴らないので「やめさせてくれ」と直訴。そしたら、戦線の「南方がいいか北方がいいか」と聞かれ、「南方です!」 とこたえると ラバウル行きとなった次第。O04210337132624097841


これが、すでに敗色濃い昭和18年。 ご存じのようにインドネシアには無数の島がある。すでに日本が敗退した島もあり、そのたびに行軍や小屋造り、土嚢運び、食糧運びなどの重労働、食糧の調達がままならなくなってくると、食べ物さがし。

古兵・下士官以上はは神様のようにふるまい、飯の用意もしないし、使役の労働もない。用のない時は一日中家の中で談笑。初年兵は「おそい」、「にやついた」、「下手」といっては殴られる。 初年兵といっても半年古いと古兵になる。 古兵もまた古兵でしっかりと階級に別れる。 あとから、補給の兵隊が来ない限り、一番遅く入った兵隊は永遠に初年兵。1


彼の持ち前の楽天性から、なぐられてもなぐられてもへこむことなく常に何かに明るい光をみいだしていた。すなわち、ジャングルの森の静けさ、緑の濃さ、花の美しさ、動物たちのオーケストラとも取れる合唱や合奏。 そして、上司にもたまにはいい人もいるということを。 あるとき、飢えてカタツムリを焼いた。だれも手を付けようとしなかったが、真っ先に食べ始めたのは水木2等兵。 65fa440a1

彼の生きる力は人並み外れていたし、現地人とも交流がとれていたから 所属部隊がすべて戦死しても奇跡的に彼だけは生きてかえってこれたのかもしれない。 敵が上陸してきたときに、彼はもう弾もなく物陰で死んだふりをしていたらしい。しかし、腕を負傷、野戦病院をたらいまわしの中で捕虜となり、半年後に帰国。

敵前最前線に常にいるなかで、思ったこと。「植物や石は平穏に暮らしているのに、なんで人間だけがのた打ち回らねばならんのだろう」

「文明なんで何だ、いじめられ、そして何かあると≪天皇の命令だから死ね≫と来る。 又忙しいばかりで何もない。それに比べて土人の生活はなんと素晴らしいものだろう。すなわち日本人には味わえないゆったりとした心があるのだ。」A0087957_183958781
あるとき、彼は現地人の妻が妖怪に殺された話を聞いた。軍医にこの話をすると、アトバラナという特殊な蚊のせいだろう、ということだった。 妖怪、そして何百、何千という彼の同僚や上司の死を目のあたりにした彼には戦後、その亡霊が妖怪・亡霊・想い出になって彼をとりまいていたことだろう。 
楽天家といえども死線を共にさまよった仲間たちを簡単に忘れることはできなかった。 8e28c6dd4161d6003f98f392bb6689739_3


それが 彼の 「妖怪」だったのだ、と私は思う。 鬼太郎は彼のヒーロー、目玉おやじは彼のブレーン、そしてねずみ男? もしかしてこのコメディアンは彼自身??

従軍慰安婦のことも描かれている。彼女らは掘立小屋のようなものをあてがわれ、一日に何十人と相手をさせられる。 水木もまた、「小屋」があるとき、行ったら50人位ならんでいたので、あきらめた、と書いている。 彼女たちの事を軍は「ピー」 とよんでいた。 ピーとは英語で 「おしっこ」を意味する。おしっこのはげぐちとしての「ピー」なのか (# ゚Д゚) ムッカー !!

2018年8月10日 (金)

蜜蜂と遠雷

Yjimage2本屋大賞、直木賞のダブル受賞したり、音楽に関係ありそうなので、読んでみた。

あらすじ

舞台は地方の国際ピアノコンクール(浜松国際ピアノコンクールをモデルにしたとか)。3年ごとに開催されるこのコンクールは、優勝者が世界屈指のコンクールでも優勝した実績があり、近年評価が高い。コンテスタント(演奏者)や審査員たちだけでなく、調律師やテレビの取材者など、さまざまな人間の生き方、考え方が複雑にからみあう。

ジュリアード音楽院の学生で19歳のマサル。天才と呼ばれたが、母の死後ピアノから遠ざかっていた亜夜。楽器店に勤める28歳の高島。人々の注目を集める少年、16歳の風間塵(じん)は、音楽教育をほぼ受けたことがない。ピアノも持っていない。養蜂を仕事とする親と移動生活をしている。

しかし、塵は、高名な音楽家のホフマンから「ギフト」と称され、推薦された注目の若手。2週間にわたるコンクール。曲はバッハに始まり、モーツァルト、リスト、ショパン、ブラームス、バルトーク、プロコフィエフなどなど。Yjimage8

手に汗握る審査発表、歓喜と落胆。しかし、このコンクールにこの少年がもたらすものは、スケールの大きな、音楽に対する愛情。「狭いところに閉じこめられている音楽を広いところに連れ出す」という少年の言葉は作者のいいたいことか。

音楽にうとい私だが、各演奏者がかくも楽しそうに作曲家の意図を体現しながら演奏する曲、とはどんな曲なのだろうと、ネットなどで聞きながら読み進んだ。  ああ、この曲はこの人が作ったんだ、どんな気持ちの時に作ったんだろう、など 読んでいる間だけでもクラシックのシャワーに触れた感じ。 音楽とは人間そのもの、生きることも音楽、 そんな感じを受けた本。

2018年7月 6日 (金)

本 「奇跡の歌」

Yjimage1本 「奇跡の歌」を読んだ。 あの大ヒット曲 「南国土佐はどのようにしてうまれたかがメインテーマ。

奇跡と偶然とが絡み合って、歌謡史に残るヒット曲が生まれた。 戦時中、日本軍歩兵第236連隊通称 鯨部隊で 誰かが歌って隊全体が歌い継いでいた「南国節」。 その部隊が玉砕することなく多くの復員兵がいた事。 復員兵の歌う歌を採譜して曲に仕上げた人 武政栄策。そして「南国土佐を後にして」は生まれた。Hqdefault1

東京から福島に疎開していた少女が戦後米軍キャンプで歌い始めたこと。NHKのプロデューサーがそれらを結びつけたこと。  こうしてペギー葉山の奇跡の歌は生まれた、 あの日中戦争を高知出身の兵隊たちは勇猛果敢に戦っていたが過酷な戦時日常をどう生き抜いたか、そしてそこに生まれたささやかなドラマなどを丁寧に記されている。4a9fafbd4cd5f0b7a5630eef287eb498450


Maxresdefault1昭和17年、戦局がますます不利になる中、志願兵だけでなく国民皆兵制によって、補充兵として中国最前線に行かされた高知出身者たち。 中国をわが手に収めんと内陸へ内陸へと進軍する毎日。

「広西省の土民は苗(びょう)族といい、獰猛にして敵意強く、単独または少数で行動する我が兵をみると、襲いかかって 殺害するありさまで、その犠牲となったものの少なくなかった」  このような緊張と戦闘のなかで、土佐出身の部隊の中からだれからともなく歌われた 「南国節」。40dd2318fd8e07371612dfe97e666f0dbfb
兵たちにとっては昼間の戦闘と行軍の疲れをしばし癒せる夜に集った時に この歌がどんなにか心のなぐさめになったか、復員してきたひとたちによって語り継がれた。

また、この部隊はある日 ひょんなことから 生後間もない「ヒョウの赤ちゃん」を手に入れる。 「赤ちゃん」は隊員たちにすぐになつき、隊員たちも愛情いっぱいこめて育て、隊のマスコットになった。  しかし、進軍の命からヒョウを連れて行けず、戦中のさなかではあったが、八方手をつくして、「上野動物園」に引き取ってもらうことになる。 ところが、昭和18年、猛獣毒殺命令がくだされ、かのヒョウも殺された。 今は 高知市の子ども自然博物館にその剥製が展示されている。 人間だけでなく、動物も多くあの戦争で犠牲になった。O09600540140060236781
「南国土佐・・」の歌は兵たちの望郷の想いから発祥し、戦争の悲惨さを語り継ぐ象徴でもあった。また、「ハチ」と名付けられた ヒョウの運命もまた戦争がいかに愚かで空しいものであったかを物語る。

と、このような本だが、日本が他人の土地に土足で入りこんでいくのに、「敵」は暴力的、残虐などとの表現には違和感を覚えた。しかし、全体としては、「南国土佐・・」や「ドレミの歌」など、戦争の悲劇の中で生まれたものが、その後多くの人々の「希望」と「勇気」につながって行ったドキュメンタリーとして一読に値する。

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